両親に見送られて、僕は旅に出た。
まずは、当面の食料を領に持ち帰りたい。その為には、何かを売って食料を買うしかないかな。
「リュリウス、手っ取り早くお金に変えられる物って何だろう?」
「そうですね、魔石や動物や魔物の皮、肉や骨などといった素材は種類によっては高く売れる場合もありますが、希少価値の高い物ほど簡単に遭遇するか分かりませんし、危険度も高くなりますからね。……塩はどうでしょうか? 王都や内陸では時期を問わず買い取ってもらえるみたいですよ」
「そっか。じゃあまずは塩を手に入れようかな」
確か始祖様の本には、塩は人間が生きていく上で必ず摂取しなければならない物と書かれていて、海水で塩水の作り方まで記してあったのを覚えている。
アカツキ領は海に面していないため、他の領地に行く必要がある。
アカツキ領と隣接していて、上質な塩が取れると評判の海に面しているソルトルティ領に行くことにした。
「レオン様、もうすぐ海辺だそうです」
リュリウスが小さな声で話しかけてきた。いつもはレオンハルト様と呼ばれていたのだけど、アカツキ領の次期領主という身分を隠した方がよいという判断で、これを期に愛称で呼んでもらうことにした。
服装も貴族とはバレないように、冒険者風の恰好にした。
乗り合い馬車から降りると、初めて嗅ぐ匂いと景色に圧倒された。
これが海! すごく大きい! どこまでも広がっている。海の先には何があるのだろうか?
それにこの匂い。何とも言えない不思議な匂い。
もっと味わいたくて深呼吸してみた。
「レオン様、海は初めてでしたね。ここは磯の香がすごいですね」
リュリウスがつられて深呼吸した。
「この匂いが磯の香りなんだね!」
海を目の前にしてはしゃいで言った。
「どうしますか? ここは港街ですから、人も多くて賑わっていますし、人目に付きやすいですから、塩作りも難しいのでは?」
「そうだね、上質な塩がほしいから来てみたけど、作るのは難しいかなぁ」
辺りを見渡すと魚が大量に売っている市場が目に入ってきた。
「せっかく来たんだから、魚を食べてみたいな!」
そう言って、市場へ走り出した。
「レオン様! お待ちください! 走ると危ないですよ」
リュリウスが後ろから追いかけてきた。
生の魚は見たことがない。
うわぁ、すごい魚の数だ! どれが美味しいのかな? そう言えば、始祖様の本に、マグロや鮭など生で食べると美味いって書いてあった。でもこの国では生で食べる習慣はないから自分で捌くしかないとか。
色んな魚があるけど、見たことがないからどれが美味しいのかよく分からないや。
「へい、いらっしゃい! 坊ちゃん、この辺りでは見かけない子だな。魚を見るのは初めてかい?」
市場で魚を売っているおじさんが声をかけてきた。
「はい、魚どころか海も見たことがなくて。旅の途中で寄ったんです。魚を食べてみたくなって」
「それなら、うちの魚を卸しているお店なら、味は保証するよ! この近くだと、あ、そうそうあの、シーサイド亭って看板のお店! 良かったら行ってやって」
気の良さそうなおじさんだ。
折角だから行ってみようかな。
「ありがとうございます。行ってみますね」
僕はお礼を行って立ち去った。
「リュリウス、行ってみよう」
「はい。仰せのままに」
リュリウスとシーサイド亭に向かった。
お店の中に入ると、すぐに席に座れた。
満席に近いぐらい賑わっていて、評判が良さそうだ。
「いらっしゃいませ。何にいたしましょう?」
店員と思われる女性が尋ねた。
「この店の一番のオススメって何ですか?」
やっぱり一番美味しいのが食べたいしね。
「えっと、そうですね、昔はシュカイ湖で取れるメグマ魚の塩焼きが一番だったらしいのですが、ここ何十年も取れていないらしいので、今はそこの海で取れた、デメダイの塩焼きですね」
「じゃあ、そのデメダイの塩焼きをください」
「では私も同じものを」
リュリウスがすぐさま言った。
「デメダイの塩焼き二つですね、少々お待ち下さい」
店員さんは注文を取り終わると、厨房へ引っ込んだ。
「楽しみだね」
「そうですね」
リュリウスの顔が綻んだ。
「お待たせしました」
先程の店員さんが料理を運んでテーブルに置いた。
皿から少しはみ出た魚からいい匂いがしてくる。
「では、いただきます」
僕とリュリウスは手を合わせた。
「あれ? 箸はないのかな?」
僕は不思議に思った。ナイフやフォークの類もなかった。
「レオン様、アカツキ領では料理によっては、ナイフやフォーク以外にも箸で食事するのは当たり前ですが、他の領ではナイフやフォークが基本で箸を使う習慣はありません。そして、庶民においては、魚は噛り付くのが基本なのです。あと、内臓は取り除いてあるので大丈夫ですが、魚は骨がありますので、少しずつお食べ下さい」
リュリウスが小声で言った。
リュリウスは見聞を広めるために、領外に居たことがあるから、色んな事を知っているんだ。頼もしい執事だなぁ。
リュリウスに言われた通りに、魚を手に取って、少しかみ噛み千切って口に含んだ。
すごく美味しい! 皮はパリっとしていて、身は柔らかく、塩気がちょうど良い。
「お気に召したようで何よりです」
リュリウスが微笑んだ。
美味しい物を食べると、人って幸せそうな顔をするらしいけど、もしかして僕も今そう見えるのかな?
リュリウスを見ると、普段はあまり表情を出さないけれども、今は少し嬉しそうな顔をしていた。
食べ終わると、さっきの店員さんがやってきた。
「オススメはいかがでしたか?」
「はい、とても美味しかったです。そうなると、昔一番だった魚も気になりますね。何故取れなくなったのですか?」
あれより美味しいなら是非食べてみたい。
「それがですね、私も祖父から聞いただけで、よく知らないのです。昔はシュカイ湖でも漁をして色々な魚が取れたらしいのですが、段々魚が死んでしまって、最後には全ての魚が死んで浮いていたそうです。それ以来、シュカイ湖では、魚が住めなくなり、漁も出来なくなったとか」
店員さんも残念そうな顔で言った。
「そうでしたか。残念ですね。一度食べてみたかったです。魚が死んだ原因は分かったのですか?」
考えられるのは毒とかかな?
「分かりません。そこで漁をしていた人も、近くに住んでいる人達も、不吉だということで、誰も近寄らなくなったので、今ではどうなっているのかさえ知らないという噂を祖父から聞いただけですし、それにシュカイ湖はお隣のアカツキ領にあるらしいので――」
「ええ⁉」
驚きのあまり、思わず叫んでしまった。
アカツキ領にあるの? そんな湖があるなんて聞いた事がないよ!
「情報ありがとうございます。ご馳走様でした。ここにお代を置いておきますね」
リュリウスがお金を置いて、茫然としている僕を連れて店を出た。
「リュリウス、シュカイ湖って聞いたことあった? 本当にアカツキ領にあるの?」
「はい、噂で聞いたことはあります。名前は知りませんでしたが、かなり昔に廃村になった村に死の湖と呼ばれた湖があって、その湖で不吉な事件が起きて封鎖されたとか」
リュリウスが思い出したように話した。
「それがシュカイ湖かもしれないね。もしかしたらお父様の視察に付いていった時に『この先も領地だけど、廃村になって封鎖しているから、立ち入らないように』と言われたことがあったよ。そこがシュカイ湖のある村だったかも。魚が死んだのは毒なのかな?」
「さあ、分かりません。不吉だという噂は聞きましたが、死人が出たという話は聞いたことがないですね。って、まさか、レオン様?」
リュリウスが怪訝そうな顔で僕を見た。
「うん、そのまさかだよ。行ってみようかと思って。何十年も昔なら、今は元通りかもしれないし、アカツキ領内なら遠慮はいらないし」
ニッコリ笑顔でリュリウスを黙らせた。
人づてにシュカイ湖の場所を教えてもらい、やってきた。
山奥にある湖で、昔は近くに人が住んでいたらしいけど、今では見る影もなかった。
「レオン様、今回は私の後ろに控えていていただけますか? もし毒だったら危険です」
リュリウスが心配して僕の前に出て湖を覗き込んだ。
「やはり魚はいないようです。空気に毒気はありませんから、湖の水が問題なのかもしれません」
リュリウスが傍に生えていた草花を湖に投げいれた。
しばらく様子を見ていたけど、特に何も起こらなかった。
僕は湖に近づいて覗き込み、人差し指を入れると、指を舐めた。
「レオン様! 何を!」
リュリウスが青ざめた顔で慌てて僕の指を口から離してから、僕の顔色を見た。
――苦い!
僕が魔法袋に入れていた水の入った瓶を取り出すと、リュリウスがそれを奪って、水を僕の口にゆっくり流し込んだ。
水流に合わせてごくごく飲み込むと、リュリウスを制止した。
「もういいよ。大丈夫」
「大丈夫ですか? 苦しくないですか? 何てことをするのですか! 毒かもしれない物を口にするなんて!」
リュリウスが青ざめたままだ。
「大丈夫、もし毒だとしても、解毒の回復魔法を使えばいいかなと思って」
慌てて言い訳をした。
「即効性で致死量の毒なら、即死して魔法は唱えられませんよ⁉ 今後このような危険なことはしないでください! どうしてもとおっしゃるなら、私が代わりにやりますから!」
リュリウスが青ざめたまま怒った。こんなに声を荒げるリュリウスは見たことがないかも。
「ごめん。もうしないよ」
僕が考えなしだった。
もう危険なことはしない。
リュリウスを見て、そう決心した。
「それで、体調はどうですか? 毒ではなさそうですが――」
リュリウスに冷静さが戻ってきた。
「うん。味は、とにかく苦いというか、とにかくしょっぱい。塩気が強いというか、濃い感じ? 始祖様の本に書いてあったけど、塩は必要な物だけど、一度に取り過ぎると、最悪死ぬこともあるって。始祖様の世界にもそういう海があって、魚が死んでしまって棲めなくなったとか」
始祖様の本に書かれていた事を思い出して言った。
「なるほど、始祖様の世界の知識は素晴らしいですね。理由は分かりませんが、毒ではないのなら、この湖はある日を境に湖の水に含まれる塩が多くなり過ぎて、魚が死んでしまったのかもしれません。レオン様が無事なのはそういう理由かもしれませんね」
リュリウスはほっと安堵しているようだった。
「それにしても、魔法袋とは便利なものですね。買うには高価な物ですから、実際に使っているのは初めて見ました」
リュリウスが魔法袋をじっと見つめた。
「うん、始祖様が作って使っていたものらしいよ。作り方も書いてあったけど、まだ僕は作れなかったから、探したんだ。始祖様専用の物だったみたいだけど、持ち主の変更の仕方も書いてあったから、僕の物にできたしね」
この袋の中は亜空間とやらになっているらしく、入れた時の状態のまま保存され、生ものなら鮮度は落ちないし、腐ったりもしないし、氷も解けたりしないし、熱い物は熱いまま、冷たい物は冷たいまま、まるで時を止めた状態で保存しておけるみたいな代物だった。
それに、魔力が高ければ、それだけたくさん入れられるとか書いてあった。
持ち主や許可をされた者以外は使用できない魔法がかかっているから盗難の心配もないし、出し入れも簡単だし、旅の荷物を持たなくていいから、とっても楽だ。
魔法袋から、持ってきた大きな甕を二つ取り出した。
「水に含まれる塩が多いなら、塩がたくさん取れるということだよね。取りあえず、ここなら人目もつかないから、この甕にこの湖の水を入れて塩を作ってみるよ」
そう言って甕を手に取ろうとしたら、リュリウスが先に甕二つを抱えた。
「水汲みは私がやりますので、レオン様はここに居て下さい」
そう言って、リュリウスが甕に水を汲んで持ってきた。
「ありがとう。まず、こっちの甕の水から、塩を取り出してみるね」
僕は魔法で、塩だけを抽出して別に用意しておいた甕に入れた。
そしてもう一つの甕の水は、始祖様の本に書かれていた塩の作り方で、魔法でゴミを取り除き、水分を蒸発させた。
「ふう。こんなもんかな」
僕は二つの製法で作った塩をそれぞれ味見してみた。
「うん、やっぱり違うな」
「え? 製法は異なりますが、同じ水なのですから、同じ味ではないのですか? 」
リュリウスが甕の中をマジマジと覗き込んだ。
「リュリウスも味比べしてみて」
僕がそう言うと、リュリウスは甕の中の塩を順番に舐めた。
「え? 味が違う。水を蒸発させた方が美味しい!」
リュリウスはビックリして僕を見た。
「魔法で塩だけ抽出する方が簡単だけど、始祖様の本には、ゴミを取り除いて、水分を蒸発して乾燥させた方が旨味や栄養素含まれてより美味しいって書いてあったんだ。手間をかける方が何倍もおいしくなるから、手間を惜しむなって。で、試しに比べてみた。本当に美味しいのかなって」
僕は得意げに言った。
「なるほど、確かに、こちらの方がしょっぱいだけではなくて、ほんのり甘みがあるというか、コクがありますね」
リュリウスが納得、という顔を見せた。
「じゃあ、どんどん塩作るから、水はよろしく」
無事に味見を終えた僕は、用意していた甕を全て出した。
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