本当はもう一泊する予定だったんだけど、お父様の指示で、帰り支度をしてすぐに王都を出発した。王都からアカツキ領までは何日もかかるため、途中で街や村に滞在したり、野宿したりしながら領地まで帰ってきた。
野宿といっても、比較的安全な場所で、魔導具のテントを使って、快適に寝ることができた。
無事にアカツキ領に帰ってきた翌日、公爵家の嫡嗣でありアカツキ領の次期領主として、また王国貴族の一員としての教育を始めるとお父様からお話しがあった。
今までリュリウスに教えてもらっていた読み書きや礼儀作法などの授業に加え、計算、歴史などの勉強、そして魔力の使い方とか魔法の授業と剣術の授業と体術の授業も追加するとお父様から言われた。貴族なら普通は専用の家庭教師を雇うのが普通みたいだけど、やっぱり僕の家はあまり余裕がないらしく、歴史などの勉強は図書室の歴史書などで代用してリュリウスが家庭教師を兼任して基礎を教えてくれるみたいだ。
今日は館の図書室に初めて連れて来られた。
図書室はどの部屋よりも広くて、部屋の壁が見えないぐらいに壁という壁に本棚があるみたいで、それでも入りきらないのか大きく間隔を空けて大きな本棚がたくさん並んでいた。中央辺りにスペースがあり、大きい机と幾つかの椅子が置いてあった。リュリウスが入り口から遠い椅子を引いて僕に座るように促した。
「レオンハルト様、私の知りうる知識には限りがありますが、精一杯務めさせていただきます」
リュリウスが改まって頭を下げた。
「よろしくね」
僕の方が頭を下げなきゃいけないと思うのだけど、執事が主人を支えるのは当然なんだとか。物心ついてすぐに教育が始まった時に頭を下げたらリュリウスに注意されたことがあった。
――レオンハルト様、貴族である貴方が立場の下の者、特に家臣に頭を簡単に下げてはいけませんよ、とリュリウスに初めて会った時に言われたのを今でも覚えている。
リュリウスが机に何冊か本を置いてから話し始めた。
「貴族として、次期領主として一番大事な事があります。貴族は権利と義務があります。国から恩恵を受ける代わりに、国の為、民の為に働かなければなりません。領主は領民から税を徴収する代わりに、領を運営し治安を維持し、領民を守らなければいけません。聡明な貴方ならお分かりかと思いますが、ミッシェルト様が、魔法や体術、剣術も学ぶようにおっしゃったのは、その為です」
「強くなければいざという時に民を、領民を守れないということ?」
「そうです。力は誇示するものではなく、守るために必要なのです。特にアカツキ領は領内に魔物が住む森があり、獣人族の国と魔人族の国に隣接していて、いつ平和条約が破棄されて侵攻されるか分からないのです。ですから、民を守るためにも領主は強くなければならないのです」
「僕、頑張るね。みんなを守れるぐらいに強くなるから!」
僕は意気込んで言った。
「――本当は貴方が戦わなくてすむのが一番なんですけどね……」
リュリウスがため息交じりに呟いた。
「そういえば、僕たちヒト族と獣人族と魔人族は仲が悪いの?」
「そう、ですね……昔は仲が良かった時代もあるらしいのですが、今は微妙な関係ですね。平和条約が破棄されていませんので、表面上は体裁を取り繕ってはいますが、特に魔人族の国では不穏な動きがあるとかの噂もあります。魔人族は長生きなのですが、それでも平和条約が締結された時の魔人族の王、魔人王はもう亡くなっていますし、その子孫が魔人王を継いだと聞いておりましたが、何年か前にクーデターが起きたとかで、現在の魔人王が魔人族至上主義という思想を持っているとか、嫌な噂が聞こえてきます」
「魔人族は怖い人達なの?」
「えーと、まずはこの世界のことやこの国の建国神話、歴史を説明した方が良さそうですね。この世界には主に、ヒト族、魔人族、獣人族、エルフ族、ドワーフ族がいます。遥か何千年も昔はもっと多くの種族がいたようなのですが、絶滅してしまった種族や他の種族と交流を持たない種族もいるようで、詳細は分かりません。あとは意思疎通ができない為、種族という扱いはしていない魔力を持った生き物を総称して魔物と呼んでいます。魔物の中にはドラゴンやゴブリン、オークなど呼び名がある生き物も多々ありますが、言葉も通じず遭遇すれば必ず連れ去るか襲ってくるので、こちらも応戦しなければならい敵です。
エルフ族は耳が尖って少し長いのが特徴で、それ以外はヒト族とあまり変わらないように見えますが、見目が麗しく、魔力も身体能力も高く、精霊たちとの相性も良く、精霊の森と呼ばれる精霊に守られた広大な森の中に国があり、積極的には他種族との交流を持たない種族です。ドワーフ族は平均的に背丈が低いですが、腕力に優れ、鍛冶技術や工芸技術に優れ、鉱山やその付近に国があります。一見とっつきにくい風貌をしている者が多いですが、職人技を生かしてヒト族の国にもお店を構えて住んでいる者もたくさんいます。このアカツキ領にも住んでいますよ。獣人族は身体能力や戦闘力に優れており、好戦的で荒っぽい性質の者が多く、魔力が少ないので、攻撃魔法は不得意ですが、自身への身体強化や防御魔法には優れているようです。見た目は個人差があり、見た目は獣が二足歩行しているような者もあれば、しっぽがあり耳が獣という者もいて、獣の血が濃い者ほど強いと言われています。そして魔人族、彼らはどの種族より魔力が優れていて、魔人族こそ世界の頂点、と考えるものが多いようです。それに比べてヒト族は、魔力も身体能力も他の種族に比べて低いです。ですが、ヒト族は学習能力が高く、知性に優れていました。今まで他種族と対等に渡り合えたのも、智恵によるものだと言われています」
リュリウスが一息ついた。そして本を広げてまた話し出した。
「三千年程前、まだ世界が混沌としていた頃、魔人族は世界征服を掲げ、まずは獣人族とヒト族を侵攻してきました。獣人族はヒト族を奴隷として利用する為に、ヒト族を襲っていました。ヒト族はそれに抵抗するために戦っていました。しかし、当時、ヒト族は全体の三分の一の領主が集まって結成されたアルシオン連合が大きな組織としてあるだけで、連合に属さない残りの領主たちは個々で対応していました。そして領地の奪い合いもあり、ヒト族は同じヒト族同士での戦いも絶えませんでした。ある時、ユグリアス地方、今のユグリアス王国ですね、その領地に一人の迷い人が現れました。異世界から来た齢30ぐらいの男性で、彼はヒト族にも関わらず、魔人族よりも魔力が多く、獣人族よりも身体能力に優れ、神々の加護を受けおり、異世界の高度な知識により世界最強の伝説の勇者とも神の使いとも呼ばれていました。彼はユグリアス地方の領地を一つにまとめて建国し、ユグリアス国の初代王となった者と共に魔人王倒し、獣人族の王、獣人王を倒し、エルフ族やドワーフ族とも対等に渡り合い、他種族との平和条約を締結し、ヒト族同士の争いも収めました。これがユグリアス国の建国神話でもあり、伝説でも歴史でもあると言われています」
「初めて聞いたけど、その異世界から来た迷い人って、どんな人? その後どうなったの?」
僕は何故か伝説の勇者のことが気になった。
「それが……、かなり活躍した人のはずなのですが、あまり詳しく記述がないのです。元の世界に帰ったのか、それともこの世界で生涯を終えたのかも分かりません。歴史書もいくつかあって、中には、迷い人などはいなくて、初代ユグリアス王が伝説の勇者だと書かれているものもあるぐらいなのです。真相を知っている人もいませんから、歴史書というのは歴代の施政者の都合のよいように書かれている可能性もありますしね。でも、私は迷い人の伝説の方が本当のことだと思っています。そして、これは初代アカツキ領主から代々仕えてきた我が家に語り継がれてきた伝説なのですが、迷い人は初代ユグリアス王の娘と結婚し、このアカツキ領の領主となったと言われてきました。ただこの事は書物にもなっていないようですし、公には誰も知らないらしいのです」
「え⁉ 初代アカツキ領主ってことは、僕のご先祖様、異世界の人なの⁉ それに、初代王の娘と結婚したということは、初代王の血も受け継いでいるってこと?」
僕はビックリし過ぎて目が回りそうになった。お父様もこの話知っているんだよね? 今まで聞いた事なかったし、あくまで伝説だよね……?
「書物が残っていないのも、このことをよく思わない王族や側近たちが隠してきたのかもしれないですし、創作物語なのかもしれないですし、証明できる物もないので、確証はありませんが、わざわざ口頭で我が家に語り継がれてきたというのが正直真実なのではないかと気になって仕方がありません」
「僕も知りたいな。始祖返りっていうアレも気になるし。始祖ってことは、もしかして初代王かその何代も前の人かもしれないし、異世界の人かもしれないし……、その人の容姿や能力を受け継いでいるかもしれないってことでしょう? 僕に関係がない話でもなさそうだし。僕、顔はお父様に似ているって言われるけど、髪の色は漆黒で、瞳は右が黒色で左が金色で、そこは二人から受け継いでいないからずっと気になっていたんだ。曾祖父が黒髪だったみたいだから、誰も僕をお父様とお母様の子だと疑っていないみたいだけど、もしお父様とお母様の子供じゃなかったら、ってすごく不安で……」
リュリウスが僕の両手を手に取り、優しく両手で包み込んだ。
「レオンハルト様は間違いなく、ミッシェルト様とミラーゼ様の血を分けられた子供ですよ。私は貴方がミラーゼ様のお腹にいる時から知っています。そして誕生にも部屋の扉の前で控えておりました。誕生してすぐにお会いしました。誰に言われることもなく、私は生涯この方をお支えしようと心に誓いました」
リュリウスが真剣な眼差しで僕を見つめた。
「リュリウス……」
思わず涙が出そうになって言葉に詰まった。
ゆっくりと深呼吸して心を落ち着かせた。
「ありがとう。君は今まで僕に一度も嘘をついたことがないから、その話が真実だって信じられるよ」
心のどこかでもしかしたらって不安に思っていたのが、嘘のように迷いがなくなった気がする。
リュリウスが心配そうに見つめてくる。
「迷い人は黒髪で黒い瞳をしていたと聞いたことがあります。それに国王や歴代の王様は金色の瞳をしていますから、あながちあの話は本当のことかもしれませんね。そして貴方はその瞳に両方の血脈を濃く受け継いでいるのかもしれません。始祖返りというのもそこからきているのかと――」
「そっか。それなら始祖返りっていうのも頷ける気がする。僕としてはお父様とお母様の本当の子供だってことが一番大事なことだから、理由が分かれば見た目なんてもう気にしない。二人の子だって堂々と胸を張っていけるよ」
僕は自然と笑顔になったみたいだ。リュリウスもつられたのか、優しい顔になった。
何だか照れくさくなってリュリウスから視線をずらして話題を変えた。
「図書室に初めて来たから、少し本棚とか見ていい?」
「いいですよ、私はここで待っていますから、好きに見て下さい。但し、手が届かないところにある本を取りたい時は、声をかけてくださいね」
リュリウスの方を見て頷くと、椅子から立ち上がり、入り口付近の本棚から一つずつゆっくり見て回った。
入り口から一番遠い隅に他より少し小さい本棚があり、背表紙に何も書かれていない本がいくつかあった。
リュリウスのところまで戻って声をかけなくても、何とか手が届きそうだった。
本棚の一番上の左端にある本を取ろうとして背伸びして手を伸ばした。本を取り出した瞬間、手が滑って本を落としそうになった。慌てて両手で本を空中で掴んだら、左手の中指に痛みが走った。その瞬間に本が光ったような気がした。指を見ると、本で切ってしまったみたいで、少し血が出ていた。本を見ると少し血が滲んでいた。
「あ!」
しまった、本を血で汚してしまった。紙に血が付くと取れにくいんだよね。
「レオンハルト様、大丈夫ですか? 今声が聞こえた気がしましたが、どうかされましたか?」
リュリウスが心配そうな顔で慌てて駆け付けた。
「ちょっと本で指を切ってしまっただけだから、大丈夫だよ」
「見せてください」
僕は怪我した中指をリュリウスに見せた。
「少し血が出ていますね。じっとしていて下さいね」
リュリウスはハンカチを取り出すと、指の血を拭った。傷口に触れられると少し痛かったけど、我慢できないこともなかった。
「血は止まっているようですね。痛くないですか?」
「大丈夫。ありがとう」
平気な顔をして答えた。
「それより、この本に血がついちゃったよ。どうしよう?」
大事な本だったら大変だと思って、本を開いて中を見た。
「ん~、これ誰かの日記? というか何だろう、普通の本とは内容が違うみたいだけど……」
リュリウスに中身を見せたら、顔をしかめた。怪訝そうに眉をひそめている。
「レオンハルト様、これ、この文字? というか読めるのですか?」
リュリウスが訳のわからないことを言った。
「え? リュリウス読めないの? 難しい文字は書かれてないと思うけど」
僕はきょとんとしてリュリウスを見た。
リュリウスは僕の手から本を取ると、パラパラとページをめくった。
「レオンハルト様、この本に何が書かれているか、読んでもらえますか?」
リュリウスが本を僕に戻した。
僕は受け取ると、最初のページを開いた。
「この本を読んでいるということは、君は俺の血脈、子孫だな。初めまして。俺はこの世界から別の世界からやってきた異世界人だ。この世界では、迷い人というらしいな。この本は俺の世界、そして地球という星の日本という俺の生まれ育った国の言語だ。日本語という言葉で書かれている。何故君が読めるかというと、この本は、俺の子孫が読めるように魔法をかけておいた。発動条件は、遺伝子、といってもわからないか、主に血や唾液などが本に触れるとその本人が読めるようにしてある。一度発動すれば、個人情報を記憶して次からは触れるだけで発動するようにしてあるから毎回血や唾液は必要ない。詳しい説明は省くが、とにかく子孫にしかこの本を読ませたくないと思っての事だ。
さて、本題だが、俺がこの本を残そうと思ったのは、俺がこの世界で子孫を残すと決めたからだ。誰だって自分のルーツは知りたいだろう? 俺はこの世界で生まれた者ではない。ある日突然、気が付いたらこの世界にいた。前の世界に戻りたいと思ったこともあるが、俺がこの世界に来たのは意味があるのじゃあないかと思い、自分のできることはやってみようと思った――って、これって……」
僕は途中で読むのをやめてリュリウスを見た。リュリウスは今までで一番驚いた顔をしていた。
「――読めるのですね。それにこの内容、もしかしたら建国神話に登場する伝説の勇者がレオンハルト様のご先祖様というのは本当のことなのでは……」
リュリウスが僕と本を何度も見比べた後、なるほど、と一人頷いた。
読んでいただきありがとうございました。
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